『古今和歌集』の言葉技巧から見る「物の哀れ」

2013-11-15 14:30曹利霞
世界文学评论 2013年2期
关键词:意識時代技巧

曹利霞

『古今和歌集』の言葉技巧から見る「物の哀れ」

曹利霞

日本古典文艺理论“物哀”一直以来都是日本文学研究领域的热门话题,但其研究范围大都集中在《源氏物语》及其周围的文学作品上。通过学习和鉴赏《古今和歌集》,笔者认为,在该和歌集里的大量作品中,特别是在其颇具特色的文字技巧和游戏中,读者可以品味出“物哀”思潮,该时期的“物哀”,渗透着作者内心的孤独和凄凉。其孤独之美,正是平安时期和歌细腻而不失情感的特色之体现。

古今和歌集 文字技巧 物哀 孤独感

Author: Cao Lixia.

Sontan college Guang zhou university.Her rearch area is Japanese classical literture.

要 旨:

中世思想の根幹とされる「物の哀れ」の研究の視点は、ほとんど『源氏物語』において展開されてきたのである。しかし、平安初期に遡ると、歌謡から物語への過渡期に位置づけられた『古今和歌集』 には、その時期の特有な「物の哀れ」が見られることは否定できない事実である。それは、平安朝初期の時代性を持ち、『古今集』周辺の人々の世界に生まれた共同的な感動とも言えよう。

キーワード::

古今和歌集 言葉技巧 物の哀れ 寂び

明治四十年、芳賀矢一は『国民性十論』に、「忠君愛国」、「繊麗繊巧」「草木を愛し自然を尊ぶ」というような日本人の美意識や民族思想を論じた 。氏のこの国民性論は、日本人にとっても、我々日本語学習者にとっても、示唆的な説であると思われる。和歌は、最も「日本の味」を持つ文学の一流として、日本民族の伝統的な自然観や美意識の結晶と言っても過言ではなかろう。特に、四季歌と恋歌に潜まれている日本民族なりの繊細さや「物の哀れ」、及び賀歌に見られる天皇に対する信仰などが今日でも日本人特有の意識或いは国民性と認められるのである。本論文では、和歌史で画期的な役割を果たす『古今集』を参考にし、この和歌集における言葉技巧とその表現を対象にし、そこに育成された「物の哀れ」を探求していこうと思う。

一、『古今集』という和歌集

延喜五年(905)、醍醐天皇の勅命により、日本最初の勅撰和歌集--『古今集』が勅撰され。国風暗黒期の後、和歌が再び文学史の舞台に登場してきたのである。全集は20巻で、全部1111首の歌を収録している。部立は春、夏、秋、冬、賀、離別、羈旅、物名、恋、哀傷、雑、雑躰、大歌所御歌からなっている。また、巻頭に仮名序、巻末に真名序が付き、内容はほぼ同じである。真名序は紀淑望、仮名序は紀貫之の作とされる。(本論文で参考にしたテキストは、小沢正夫と松田生穂校注された『古今和歌集』

(小学館 1983年) である。)

『古今集』の仮名序には、「今の世の中、色につき、人の心、花になりにけるより、あたなる歌、はかなき言のみ出でくれば、色好みの家に、埋もれ木の、人知れぬこととなりて、まめなる所には、花薄ほに出だすべきことにもあらずなりにたり。」という節がある。この節によって、和歌の衰退と言っても、和歌時代の根絶ではなく、「まめなる所」「大夫の前」などのような晴の場での詠歌がなかったにすぎないのは明らかであろう。『古今集』に収録された歌は、平安貴族の生活と心情を忠実に反映したものとなった。即ち、それは花鳥風月と恋とを歌いあげた、遊び心に満ちた風流の作品である。王朝貴族の生活は、風流豪奢を極めていた。常に詩と酒の宴、歌合、行楽遊行、そして競馬まで行われていたのであり、歌と酒と恋と風流に明け暮れる日々であった。平安時代は、政治制度から風俗、美術まですべて唐風を模倣した古代から奈良時代に対して、日本的な新しい秩序や美意識が目覚め始めた時代と言える。従って、日本の「美」には、この時代に孕まれた美を除外すれば、価値のないものになってしまうのであろう。一方、前述のごとく、宮廷行事が盛んになったと伴い、和歌も新たな形で公の場に出てくるようになったのである。遊宴には風流を楽しむ耽美の心が充満し、詩や歌会に、遊宴の雰囲気に相応しい表現が欲求されるのであろう。それゆえ、宴会における新たな作歌活動が新しい作品を生み出すこと当然なことである。要するに、以上の時代背景から見れば、『古今集』の誕生が偶然な事実では言えないと思う。

二、歌用語の技法によって表現された「物の哀れ」

本居宣長の歌論によると、心の底から起こる感動としての「物の哀れ」こそが、和歌を詠みださせるとする観点が開始されていくとも言える。『石上私淑言』には、「さて歌はその物のあはれを知ることの深き中より出でくるなり」、また、「物のあはれにたへぬところより(歌が)ほころび出でて、おのづから文ある辞が歌の根本にして真の歌なり」が載せている。その「文」は、主として、歌の音律や歌用語などに関するのであろう。周知のように、「掛詞」や「見立て」或いは比喩という技法は、『古今集』における代表的な特徴である。また、それについての先行研究も山ほど多いのである。筆者の考えによれば、「桜散る花の所は春ながら雪ぞ降りつつ消えがてにする」や「見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」などの歌に見える単純で、理解やすい比喩の表現は、当時の人々の心の底に潜まれる「物の哀れ」という情感の表れとして捉まえられると思う。また、以下の歌のように、

秋霧の晴るる時なき心には立ち居の空も思ほえなくに

(恋二 580 平河内躬恒)

枕詞「秋霧の」が「秋霧の晴るる」「晴るる時なき......」の二重の文脈を引き出し、晴間のない秋霧はいっこう晴れない私の心を一層不安させるのである。作者は、秋霧の薄明の映像において、思わず自分の茫然とした落ち着かない気持ちを描き出したのである。さらに、

音羽山今朝越え来ればほととぎす梢はるかに今ぞ鳴くなる

(夏 142 紀友則)

音羽山高く鳴きてほととぎす君が別れを惜しむべらなり

(別離 384 紀貫之)

のごとく、「音羽山」のようなほととぎすの名所が歌の先端に置かれている。「音羽山」の「音」の縁で、「梢はるかに鳴き」、「木高く鳴く」という表現が成り立っているのである。142の詞書には、「音羽山を越えける時にほととぎすの鳴くを聞きてよめる」という説明がある。旅に出た紀友則にとっては、梢にはるかに鳴くほととぎすの音は、郷愁の思いを引き出したのであろう。言い換えれば、ほととぎすの声を聞く瞬間に湧いて出るその情感は、切実な思いであり、いわば「物の哀れ」のではなかろうか。384の歌は、紀貫之が旅に出る人を送る際に詠んだのである。この画面には、初夏の静けさと破るほととぎすの声は、人に別れる時の悲哀感とが混然的に融合されたのである。

次に、掛詞と見立ての用例を見てみよう。周知の如く、掛詞は六歌仙時代ごろから用いられるようになり、異議の二語を重ね合わせ、二重の文脈を形成するのである。具体的な例によると、

かれはてむ後をばしらで夏草の深くも人の思ひゆるかな

(恋四 686 平河内躬恒)

今はとてわが身時雨にふりぬれば言の葉さへにうつろひにけり

(恋五 782 小野小町)

686の歌には、相手との「離れ」と草の「枯れ」が掛詞になっている。言い換えれば、作者は、茂っている夏草を見ると、心に深く思っているあの人に情熱を嘆き出すよう気がするのである。また、夏草のあり様から秋の枯れへの季節の推移は、人生の流れや移ろいをも表している。見立てとは、ある事像を別の事像として捉え直すことである。『古今集』における見立ての用例には、物像から物像へのと、また物像から人間の行動や状態へのは多いのである。そして、物像から人間活動への見立ては、擬人法と言われる。本節で、擬人法の例を分析しながら考察していこうと思う。

春の着る霞の衣緯をうすみ山風にこそ乱るへらなれ

(春上 23 有原行平)

秋の夜の露をば露と置きながら雁の涙や野辺を染むらむ

(秋上 258 壬生忠岑)

23は擬人法を用い、春という季節そのものを霞を衣装を着ている女と見立てるのである。作者は、風に乱れる衣装の緯と山の霞の描きから、春の女神の佐保姫を想像する。この景色を幻想と重ねることによって、歌は面白みを持つようになった。23に比べ、258首の擬人法はより複雑である。まず、露を雁の涙と見立て、また野の緑を紅に染めて紅葉させることになったと捉え直している。それによって野辺の紅葉が、単なる華麗な彩りに終始することではなく、生命のすべてが滅び去って行くという悲哀の情感に枠どられる。このように、秋の美に悲哀の意識を付けることは、王朝人の心象風景の捉え方と見られることはできよう。

三、「眺め」から見る「物の哀れ」と「無常」

まず、『古今集』における「ながめ」ないし「ながむ」の語を含む歌を取り上げよう。

花の色はうつりけけりないたづらにわが身世にふるながめせしまにひとりのみながむるよりは女郎花わが住む宿に植ゑてみましを

(春下113小野小町)

(秋上 236 忠岑)

いま幾日春しなければ鶯もものはながめて思ふへらなり

(物名 428 紀貫之)

見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめ暮さむ

(恋一 476 在原業平)

起きもせず寝もせで夜をあかしては春のものとてながめくらしつ

(恋三 616 在原業平)

つれづれのながめにまさる涙川袖のみ濡れて逢ふよしもなし

(恋三 617 藤原敏行)

大空は恋しき人の形見かは物思ふごとにながめらるらむ

(恋四 743 酒井人真)

ひとりのみながめふるやのつまなれば人をしのぶの草ぞ生ひける

(恋五 769 貞登)

113は名高く、小町の代表作である。評釈によると、花の色も私の色香も、もはや消え失せしまった。そしてむなしくも、わが身はすっかり老い果てた。あらぬ物思いにふけり眺めていたうちに、花が春の長雨に打たれて散るようにと理解できる 。言葉の技巧の面では、「ながめ」は視覚的な意味を持つ「眺め」に「長雨」が掛けられ、春の長雨に降られ、一日中家に籠られた作者の姿を我々に見せた。また、花の移ろいを表現するのには、作者が花の移ろうことによって人生の移ろいを「ながめ」たことになったのである。その憂鬱な雰囲気の中で、「物の哀れ」の気持ちが漂っていると思われる。236を詠む前に、まず同じく忠岑に詠まれた「人の見ることやくるしき女郎花秋霧にのみたちかくるらむ」(秋上 235 忠岑)を見てみよう。この歌には、忠岑は女郎花を蔭に身を隠す優雅な女性にたとえて表現した。「人に見られるのがいやなのであろうか」という設問の形で、ずっと逢いたい恋人への思いが十分伝えられたのである。236の場合は、235よりもっと情感が深く感じられる。ここで、「ながむ」は「恋の思いに耽りながらじっと長い間見ていること」と解釈される。逢いたくてもなかなか逢えない女性に対しては、むしろ女郎花のようにわが家の庭に植えて自分のものにするという気持ちは、「ながむより」の語によって婉曲に表現されたのである。庭の女郎花を見ながら、片思いの女性への熱情を感嘆するという発想は、『古今集』時代の「物の哀れ」の表れではなかろうか。また、476の発想は236類似し作者ははっきりと顔が見えないその女性の面影を思い浮かべつつ、一日中何もしなく物思いにふけるという。この歌には、女性の朧な姿に夢中しながら、ほかの風景などはどうでもよいという作者の気持ちが感じられる。

617の歌には、「業平朝臣の家に侍りける女のもとに、よみて遣はしける」という詞書が付けられている。113と同じ、「ながめ」は「眺め」と「長雨」が掛詞になっている。さらに、「つれづれのながめ」は、何か一層憂鬱でけだるい雰囲気が帯びている。前述したように、「ながめ」は恋の思いに耽りながらじっと長い間見ていることと理解できよう。我々は、この歌には、視線を虚空に漠然と放っている感じがあると想像できるであろう。その恋の思いによって起こった不安の感情は、「物の哀れ」とは言えよう。

要するに、これらの歌における「ながめ」は、主に「物の思い」の意味で理解できると思う。また、多くの場合は、「眺め」と「長雨」が掛詞になっている。それぞれ物の思いと長雨に降られて憂鬱な雰囲気が漂われるのである。平沢竜介の指摘のように、平安朝文学における「ながめ」は「もの思ひ」に主体を置いた「ながめ」であることは否定しえない事実である 。物思いに耽りながらぼんやり外界に目を放つ「ながめ」は、平安時代に置いては、王朝貴族の視覚のあり様を示す重要な表現の一つであったと言えるのであろう。従って、『古今集』のみならず、平安朝初期には、その意識がもう萌芽したと思われる。この意識の誕生、或いは変更とは、精神構造の変化によって起したのであろう。この点につていは、まず上代の、殊に万葉時代の「ながめ」の用例を見なければならない。

综上所述,在小学低年级数学教学中应用游戏教学模式,能够改变传统教学模式的禁锢。教师应结合小学生的年龄特点和心理特点选择适合的游戏,充分发挥其教学优点,针对教学中存在的问题,采取措施,深入探索和思考。数学教学方式和游戏教学模式的有效结合,能够培养学生合作学习能力,引导学生将所学知识应用到生活中,应用数学知识解决实际问题,提升小学数学质量,拓展学生思维,为学生未来发展奠定良好基础。

秋萩を散らす長雨の降るころはひとり起き居て恋ふる夜ぞ多き

(万葉 巻10 2266 秋相聞 作者未詳)

みどり子の 若子髪には たらちし 母に抱かえ ひむつきの 稚児が髪には稲置娘子が

妻どふと 我れにおこせし 彼方の 二綾下沓 飛ぶ鳥 明日香壮士が 長雨禁へ 縫ひし黒沓さし履きて 庭にたたずみ

(万葉 巻16 3791 有由縁並雑歌 作者未詳)

卯の花を腐す長雨の始水に寄る木屑なす寄らむ子もがも

(万葉 巻19 4217 大伴家持)

三つの用例は、いずれも「長雨」で、長い間降り続く雨を詠むのである。『古今集』の「眺め」のような視覚表現や、その意識もまだ見られなかったのである。前に挙げられた『古今集』の歌は、主に恋人への片思いの気持ちを伝える工具として詠まれた。その雰囲気と読嘆の意図があるこそ、技巧的、繊細的な表現ができたと思われる。要するに、万葉時代には、まだその思いの伝え方はまだ存在しなかったのである。『古今集』の歌人は何かと言えば空を眺める。例えば恋しい人の面影を大空の隅々に求める如く、或いは自身の心の情景を大空の鏡に映してみようとする。こういう心の思いを何と言って説明してみるという形は、『万葉集』に見られなかったのである。言い換えれば、その心理発展の過程が古今集に初めて萌芽したのである。この心の過程には、我々は、憂鬱や悲哀の情感に彩られた感動、つまり『古今集』時代の「物の哀れ」を味わえるのである。

太田水穂は『古今和歌集』に、平安時代の「物の哀れ」を意味づけた 。氏の指摘によると、「物の哀れ」は心の全野に瀰漫した悲哀であり、「心の色」と「心の匂」とかあるいは情調と言うべきものであり、また、それが日本の民族の文化がある段階に達すると、自然にその民族の上自生的に表れてくる悲哀感であると見るのが正当であろう。私見では、これが『古今集』周辺の「物の哀れ」についての最も適切な解釈であると思う。「心の色」と「心の匂」とは、人間特有の感覚である。その感情の存在にこそ、平安時代なりの耽美的、浪漫的な「物の哀れ」が後世の文学芸術に継承されたのである。

注解【Notes】

[1]以下では『古今集』と記する。

[2]秋山虔「日本的美意識の問題--『古今集』をめぐって」、『日本文学講座2--文学史の諸問題』、大修館書店、1987、110頁。

[3]小沢正夫·松田生穂校注『古今和歌集』、小学館、1983。

[4]工藤重矩「古今和歌集真名序の「業和歌者」をめぐって」、『古今集と漢文学』、汲古書院、1992、86頁。

[5]平沢竜介『古今歌風の成立』、笠間書院版、1984、69頁。

[6]小沢正夫·松田成穂校注『古今和歌集』、小学館、1983、122頁。

岩井弘子『古今的表現の成立と展開』、和泉書院、2008。

宇佐美昭『古今和歌集論』、笠間書院、2008。

大岡信『うたげと孤心』、岩波書店、1990。

大岡信『古今和歌集の世界』、岩波書店、1999。

奥村恒哉『古今集の研究』、臨川書店、1975。

小沢正夫·松田成穂校注『古今和歌集』、小学館、1983。

熊谷直春『平安朝前期文学史の研究』、桜楓社、1992。鈴木修次『中国文学と日本文学』、東書選書、1987。

平沢竜介『古今歌風の成立』、笠問書院版、1984。

Japanese classical art theory mononoaware has been a hot topic in the Japanese literature research, while most of researches just focus on Genjimonogatari and those related literature works. By studying and appreciating Kokinnwakasyu, the author states that readers can taste the thought of mononoaware presented in many works of it, especially from the language trick. Mononoaware in this period embodies authors' loneliness and bleakness from their inner hearts. Such beauty of loneliness is the very representation of delicate and affective wa ka syu in hei an period.

kokinwakasyu language trick mononoaware loneliness

曹利霞,广州大学松田学院外语系日语教师,研究方向为日本古典文学。

作品【Works Cited】

Title:

Analysis of "mononoaware" from a pespective of language trick in Kokinnwakasyu

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