芥川龍之介「杜子春」についての分析―「春」のイメージを中心に―

2017-11-15 01:29郝燕迪
东方教育 2017年18期
关键词:人間芥川文学

要旨:芥川龍之介「杜子春」唐代伝奇小説「杜子春伝」を翻案した児童文学小説である。芥川は、原典における季節を冬から春に変えた。本稿は「春」という季節のイメージ及び設定の理由を探究する。

キーワード:「杜子春」;春;イメージ

1.はじめに

芥川龍之介「杜子春」は大正9年(1920年)に『赤い鳥』第五巻第一号に掲載された児童文学小説である。芥川から河西信三へ宛てた書簡(昭和二年二月三日付け)に、(「杜子春」は唐の小説「杜子春伝」の主人公を用ひり候へども、話は2/3以上創作に有之候と述べられるように[1]。) 鄭還古の唐代伝奇小説「杜子春伝」を翻案した小説であるが、2/3以上が芥川による創作より成る「杜子春」は原典と異なる箇所も多数ある。その中で、「杜子春伝」の杜子春が「資産蕩尽し 、長安を迷っていた」のは冬である。芥川は、その季節を春に改変している。物語の季節をあえて、冬から春に変えた目的は何だろうか?平岡敏夫(1982)は「夕暮れ」という視点から「杜子春」と「蜜柑」を分析し、季節と物語の雰囲気の関連性についてを明らかにした。また、渡部芳紀(1972)「春」の設定と童話小説の面白さ、優しさなどに関係があると言及する。しかしながら、数々の研究が既に指摘した両作の相違点の中で、物語の季節「冬」を「春」に変えた点を中心に研究するのはあまり見られない。そこで、本稿は「春」という季節の設定の理由を探究する。さて、季節「春」のイメージと意義の分析を試みる。

2. 芥川と「春」について

2.1「杜子春」における春のイメージ

周知のように、芥川の小説の季節設定が細かい。ここで、簡単に列挙してみる。

ある曇った冬の夕暮れである。「蜜柑」

ある春の日暮れです。 「杜子春」

晩秋のころ…… 夕冷えのする京都はもう火桶が欲しいほどの寒さである。 「羅生門」

一般的に、季節の設定は物語の雰囲気と関係があると言われる。平岡敏夫は「「春」と「冬」はそれぞれの作品の世界を暗示しているとも言える。……「羅生門」「蜜柑」に比しても、誠に対照的な明るい描写である。これはもろん、多分「春」ということが関係している。そして、そのことは作品全体的にも関わってくるはずである[2] 。」と述べている。「杜子春」における情景描写は次のようになっている。

何しろその頃洛陽といへば、天下に並ぶもののない、繁昌を極めた都ですから、往来にはまだひつきりなく、人や車が通ってゐました。……油のやような夕日の光の中に、老人のかぶつた紗の帽子や、土耳古の女の金の耳環や、白馬に飾った色糸の手網が、絶えず流れて行く容子は、まるで画のやうな美しさです[3]。(p153)

春の光の中で、読者に暖かく、明るく、柔らかい印象を与える。物語の始まりから、このような雰囲気を持ちながら進んでいる。

2.2季節「春」の設定について

「杜子春」は児童文学として、物語の面白さ、明るさが必要であると思われる。渡部芳紀は季節の変わる理由について、「芥川は時代や場所を子供たちに親しみやすいところに換え、季節は厳しい冬よりも、幻想味出せる春の夕暮れ(しかもそこにこまかい月さえ配して)にしている[4]。」と述べている。児童文学としての「杜子春」において、これも季節を春に変えった理由の一つだろう。実は、芥川は最初、季節を「秋」としていた。最後考え直して、季節が「秋」では、児童文学として冷たい感じがするので、暖かい雰囲気である春に切り替えている[5]。

そして、正宗白鳥は「童話が年少者のためにという条件を持つ点を無視した酷評[6]」があり、「童話においては読者の年齢上の心的特性に基づいて健康的なものの見方を与えるべきであって、成人の文学に比してモラルや素材の点で制限がある[7]」。そのために、「杜子春」の主題と季節「春」の設定も関わっているであろう。近藤春雄は「杜子春」における人生観について、「上仙を求める風潮に反抗し、愛の尊厳を提唱することにより、人々の人間の本性に生きること[8]」と指摘している。元々は金持ちの息子である杜子春は、親の遺産で遊び暮らして散財し、日々の暮らしにも困るようになり、世間の薄情さを感じ自殺を思うようになる時、老人と出會った。老人からもらった助けは親から子へという愛と言える。修業中、両親の痛みを耐えきれず、声を出したのは子から親へという愛である。愛を主題とする物語は童話の健康教育性と一致すると考える。

結末において、仙人は「泰山の南の麓の一軒の家」を杜子春に提供した。これに対して、渡部芳紀は「変身した(人間らしい、正直な暮らしをするつもり)になった杜子春はその行き方を賛成するかの如く、(桃の花が一面に咲い)た家と畑をやるのである[9]」という見解を提出した。その上、橋本裕梨「桃の花が一面に咲いた泰山の南の麓の一軒の家」は「桃花源」と連想させるだろう。中国では、陶淵明の桃に対して信仰、不老不死という象徴意味を扱われている[10]。杜子春が、結末の「桃花源」に行くかどうかに関する意見が両派に分けられるが、本稿では、これについては議論しない。杜子春は失敗と修業を通じて、自分自身にとって、何が最も大切なのかがわかっているからである。自分の本心を求めて、仙人になる気はなくて、「人間らしい、正直な暮らしをするつもりです[11]」(p159)と答えた。児童文学としては、自分の本心を尊重し、徐々に人間らしく成長することが大切だろう。従って、季節を「春」に変えっているのは「桃花源」、及び人間成長への希望と関わっていると考えられている。

なお、物語の構造性から見れば、「冬」から「春」への改変は春の暖かさと人間の薄情を対照するのに用いられるが、その後、春の暖かさと救われた後、愛と希望の気持ちを表す役割を果たす。

3. 終わりに

本稿は芥川の季節「春」へのこだわりとそれを示す表現及び童話小説として「杜子春」の季節「春」のイメージ、意義を探求した。季節「春」の設定は児童文学の特徴、読者の受容層、主題を考えながら、創作された物である。本稿では、「春」が物語の構造とどのように関わっているかについては詳しく論じることができなかった。物語の構造性という観点からの考察は今後の課題としたい。

注釈:

[1]渡部芳紀.「「杜子春」作品論」.『国文学解釈と教材の研究』17(16).1972-12.100-106.

[2]平岡敏夫.「日暮れからはじまる物語――芥川竜之介「蜜柑」「杜子春」を中心に――」『芥川竜之介――抒情の美学』大修館書店1982.

[3]芥川龍之介「杜子春」『芥川龍之介集――現代日本文学大系43』筑摩書房1968.

[4]同1

[5]赤羽学. 「芥川龍之介の「杜子春」自筆原稿の紹介」『岡山大学文学部記要』(4).1983.12

[6]恩田逸夫.「芥川龍之介の年少文学」『近代文学鑑賞講座月報1』1958.6.

[7]同6

[8]近藤春雄.杜子春伝について.『愛知県立女子大学説林』1957.

[9]同1

[10]橋本裕梨.「芥川龍之介「杜子春」論 : 褒美としての「泰山の南の麓の一軒の家」の崩壊」.『フェリス女学院大学国文学会』2008.3.

[11]同3

作者简介:郝燕迪,1991年2月9日出生,女,汉族,陕西汉中人,现就读于西安外国语大学日本文化经济学院2015级日语语言文学专业。主要研究方向:日本文学。endprint

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